agedbeginner’s diary

プログラミング・IT業界、シングルマザーの経済的自立に関することその他について発信

プログラミング学校を卒業して思うこと その9

独習の限界と学校の役割

 そもそもプログラミングは、理屈の上ではその気になれば独習できるものである。関連する資料は大抵ネットを探せば(質はともあれ)手に入る。

 しかし、多くの人が独習に挫折している理由は、何をどういう順で勉強すべきかがわからないということ(体系的な視野の欠如)と、面白さを発見する前に疲れてしまうということ(興味・関心の失速)だろうと思う。

 したがって、学校でなければできないことは、学習者にきちんとした羅針盤を与えるとともに、プログラミングなりコンピュータなりに関する学習に対する興味・情熱を維持させる仕組みづくりということに尽きると思う。

で、うちの「学校」は?

 念のために言っておくと、私は自分の通っていた「学校」の教育内容を全否定するつもりは全くない。

 むしろ、個人的には大変良い経験・学習をさせてもらったと思っているし、教材の内容もそれなりに練られたものであり、個人的にはあれだけの金額を支払った意味があったとも思っている。

 しかし、60万円が大金である多くの若い受講生達の立場や、現実に就職・開業するという観点からすれば、相当に物足りない部分があるという結論も同時に持っている。

 以下、ごく大雑把であるが、私の通っていた「学校」のシステムの問題点を掲げる。

不足している点①

 まずはアプリの開発・設計理論あるいは実務を教えていないという点。

 以前のブログに書いたように、やっていることは、既に出来上がっているサイト(モデルサイト)と同じ見た目になるようコーディングするという程度のことなので、顧客の要求する内容を汲み取り、咀嚼・理解したうえ、技術者としての必要な提案をし、関連する技術を導入してそれを実現するように設計・実装するという根本的な部分に関する教育が全くない。

 例えば、物販(EC)サイトのコピーをしたとしても、物販サイトで商品を出品した形にしたり、決済した形を真似したりすることはできても、それでは物販サイトを作り上げたことには全くならない。これは、企業経営に触れたことがある人ならわかると思う。

 つまり、やっていることはサイトの見た目から想像できる範囲の機能を素人的に真似て実装する程度であり、企業・事業活動全体に目を配って作らなければならない実際のサイトの開発とは似ても似つかない。

不足している点②

 次に、アプリ運用への開発者としての関わり方を教えていないという点。

 通常、アプリを開発して納品した後でも情報の更新にとどまらない様々なメンテナンスが不可欠だが、そのための管理者機能のアプリへの組み込みすら教えていないのだ。

 また、データベースやサーバの管理の仕方についても、相当不足しているから、サーバダウンなどのトラブルに迅速に対処できるとは到底思えない。

 「学校」の想定しているフルスタックエンジニアは、例えばスタートアップ企業のCTO的な役割で、Webサイトに関する全てのことを一手に引き受ける程度のことができなければならないから、これでは怖くて営業に出られたものではない。

不足している点③

 3番目は、情報開示である。

 すでに触れたように、脱落者が無視できない割合に上る事実や就職先の待遇を伏せてあたかも入学しさえすれば必ず就職できるかのような幻想を振りまくのは論外である。それなりに厳しいトレーニングがあることを脱落率も含めあらかじめ十分説明するか、一定の課題を達成した者のみの入学を許可するとかしなければ、いずれ消費者問題として指弾される日が来るであろう(私がいた「学校」は上場を目指しているらしいから、この問題が将来的に無視できなくなる虞がある)。

 最近無料を謳い文句にするプログラミングスクールがたくさん出てきているが、こうした学校では、受講者の事前の覚悟が不十分になる虞があり、逆に事前の説明が一層重要になると思われる。たとえ無料であっても、受講者の格段の努力は省略できないし、それなりの時間を投じるわけであるから、挫折した時の徒労感は、業界に対する不信感を呼び起こす虞がある。

 少し角度は変わるが、教育内容(カリキュラム)を詳細に開示していない点も問題だ。

 大抵の「学校」は、教育内容の説明として教えている言語くらいしか掲げていないが、何を勉強しないといけないかをあまり理解していない受講者に対して何をどの程度まで教えるのかをきちんと開示しなければ、期待と現実とのギャップを感じさせることになるだろう。受講生は、少なくともエンジニアと呼べるだけの力量がつくものと期待するからだ。